2004/05/30

デザインのチカラ

たまに見るテレビで素人さんがいろいろなお宝を評価して貰う番組がありますが、その中で西洋のアンティーク陶器や中国の青磁などを「一目で気に入って大枚叩いて」買って来て、結局は偽物や写しだったりする事が良く有ります。
また、ハーレー乗りが集まる「オバカ集会兼鯨飲大会」である「ミーティング」の会場に出店している「安物銀もの屋」の商品でも、クロムハーツやビルウォールレザーやレナードカムホートなどの有名ブランドのデザインを模倣した物が良く売れて行きます。この2つの例で判るのは「デザインの力」という事です。骨董を「旦那買い」する人も、銀ものを「安物買い」する人もそれぞれ元になったオリジナルをほとんど見た事が無いはずですが、なぜそれを気に入ってしまうのでしょうか。
結局の所「オリジナリティ」のあるデザインのチカラは、悪意のある偽物からさえも弱いながらも魅惑の光を放っているのです。

2004/05/24

ほめる人、けなす人

とはいっても教育の話ではありません「デジカメ」の話です。私は若い頃にバイトでやっていた「写真」で食べて行くか悩んだ事が有り、結局は違う仕事の道に進んで行った訳ですが、その仕事を辞めるときに使っていた「CONTAX RTS」を、仕事先の先生からいただいて以来、結局は仕事では「CONTAX RTS」や「RTSII」などを使ってきました。使い続けた理由はやはり「カール・ツァイスT*レンズ」の持つ描写力にあると思います。当時の国産レンズの「シャープ」さを第一とした設計とは違い、ナチュラルな色目と素直な描写力、人物撮影には大変魅力的な良いぼけ味を持つ、大変良いレンズだったからです。実際今でもそれらのカメラを使い続けていますし、最近ではレンジファインダーの「CONTAX G1」も使っています。さて、私の仕事での撮影も、最近は次第に「銀塩カメラ」から「デジタルカメラ」に比重が移って来たのに伴い、複数台の「デジカメ」を使用して仕事をするようになって来たのですが、「一眼デジカメ」は別として、小型機ではレンズも含めた光学系の弱さを痛感する事になりました。そこでネットの掲示板などで「レンズを含めた光学系重視」で小型のデジカメの情報を集めてみようと思い立ち「CONTAX」ブランドの数機種と、「CONTAX」ブランド以外ながら「カールツアイスレンズ」搭載の数機種、「ライカレンズ」搭載の数機種にしぼっていろいろな意見を聞いてみました。そこではっきりした事は、デジカメの機能に対する考え方の違いが「評価の基準を2分」しているという事実でした。
まあ、簡単に言うと撮影した画像の評価に関して、光学系の持つ描写力をデジカメの性能として認めて「ほめる人」とまったく認めず「けなす人」に分かれる事でした。さて、何事も「ほめる」「けなす」には一定の法則があると思います。それは「ほめる人」は大体において、こちらの投げかけた質問の主意(今回の場合は光学系の評価)を理解して評価して「ほめる」場合が多く、「ほめない人」も事の本質を理解して否定している以上「ほめる人」と同質であるとして、「けなす人」はどうも投げかけた質問の主意が理解出来ず、全く異なった論点で評価した結論をもって「けなして」いる人が多いようです。例えば今回の例で言えば、「ほめる人」はデジカメの撮影したデータの持つ表現力に関する光学系の影響する点について「評価」してくれる人が多かったのですが、「けなす人」の場合は始めから主眼の「光学系」については全く評価せずに、「大きさが大きいから全くダメ」とか、「シャッターが落ちるのが遅いからダメ」とか「特定メーカーの製品は嫌いだからダメ」とかの、今回の論点とは全く異なった事で「全否定」してくることが多いようです。また「ほめる人」の場合は自身の感性での評価を根拠として評価する場合が多いようですが、「けなす人」の場合、その根拠が伝聞や風説に基づいた場合が多く「皆がそう評価しているから当然私もそう評価する」という考えの人が多いように思います。
この事から判るように「ほめる人」とは論点がかみ合った議論が出来ますが、「けなす人」の場合はハナから論点が理解出来ない人なので全く議論が噛み合ないという事です。結果「けなす人」の場合は議論をしようとしても感情的な反論がエスカレートする場合が多いようです。この点を理解すれば、日常のいろいろな事柄、例えば「国産信奉」と「外国産蔑視」に関する議論が噛み合ないことの理由もまた理解できると思います。結局の所「ほめる」には評価すべき点がなんであるかを「理解」している事が大事で、それが判らないでほめれば、相手の賛同も得られず、ただの「おべんちゃら」だと思われてしまうと言う事です。この事は皆さんも普段の生活で実感されていると思います。

2004/05/22

ヲタクのファッション

さて、「ヲタク」のファッションと言えば以前は「黒の学生風のズボン」にやたら長めの「おっさん臭い穴無しのベルト」、「白のワイシャツ」とスニーカー、「マジソンスクエア」のスポーツバッグのループを肩に掛け、薄茶の2重にした紙袋に大荷物を入れている、眼鏡七三分けの青白い顔の男、冬はダッフルコートを着用場合もあり秋葉原付近に多数生息する。または、変な切り返しのついたケミカルウォッシュのジーンズに、キャラクターTシャツまたはトレーナーという感じでした。
しかし最近は黒の編み上げブーツにカーキか迷彩のカーゴパンツ、ゲーム系のプリントTシャツにミリタリー系のジャンパーか、ストライプのTシャツの上にプリントタンクトップ、指の無い革手袋をしてGショックを装着、長髪を後ろで束ねて、丸眼鏡(サングラスも有り)とか、アーミーパンツに合成皮革のライダースなんてのもあって、昔のイメージに比べると大分カラフルになって来ている感じがします。さて、ではなぜ彼らのファッションが変わって来たのか考察してみましょう。
もともとの「ヲタク」のファッションとは、簡単に言えば「学生服」の上着を脱いだ状態であり、あるいは母親が近くのスーパーなどで価格優先で適当に買って与えた物を適当に着ている、というのが本当の所であって、これは取り立てて「ヲタク」のファッションというよりは、当時の国立大学の工学部の学生などの標準的な格好だったと思います。つまり昔の「ヲタク」は工学系の人々の一部をさしていたのです。思えば当時のお勉強命の田舎出身の大学生は、彼女が欲しいって色気は人一倍あったくせに、自身の格好について頓着するのはなにか妙な自尊心が邪魔するのか全く否定していて、とにかくダサイのが普通でした。しかし最近の工学部の学生は全くそんな事も無く、かといって「ヲタク」とは異なってまあ普通の若者のファッションをしています。では現在の「ヲタク」のファッションの源泉は何処にあるのでしょうか、それは「アニメの登場人物」と「ゲームの登場人物」なのです。実際、現在の「ヲタク」に占める工学系の割合は低く、どちらかと言えば「コア」な人達は大学などには進学していない場合が多く、ある意味で「アニメ」や「ゲーム」を生活の中心にとらえている人が多いようです。彼らは自身を「アニメ」や「ゲーム」に登場するキャラクターに擬する事を好むので、自然とそれらしいファッションになっていくようです。しかし、現在は一般の若者にとって「漫画」や「アニメ」、「ゲーム」などは有って当たり前で取り立て興味のある事では無くなっています。そのためによけいに「ヲタク」の若者と「普通」の若者との生活には乖離が起きている状況ですが、普通の若者にとっては「漫画」や「アニメ」、「ゲーム」は前述の通り有ってあたりまえの空気のようなものなので、ある意味「ライトなコスプレ」である「ヲタク」ファッションを街で見かけても、免疫が有ってそれほど違和感を感じないのが現状です。

ビールの味

今年になってから先輩の紹介で食事に寄っている居酒屋ではジョッキを冷凍庫でキンキンに、「冷やして」というより「凍らせて」あって、そこに麒麟の生を注いでだしてくれるのだが、これが不味い。冷え過ぎたジョッキの中では剥がれた氷片が表面に浮き泡は無惨にも消失し、苦みだけが際立った香りの無い液体が淀んでいるのである。周りを見ると日雇いの親爺や何が生業(なりわい)なのか不明な年配の客たちは「旨い旨い」と美味しそうに飲み干しているが、大方の客は2杯目は焼酎になっているようである。もともとからのビール好きである私は、ほとんどどんな環境でも美味しくビールをいただいているのだが、この味だけは何となく得心がいかずに「微妙な苛立」を感じながらも、カウンターの端に居所を見つけて時々はその「ビール」を頼んでいた。しかし、その店もいよいよ「まともな料理」も出ず、たいした「酒」もなく、あまりやる気の感じられない女将の甲斐性もとうとう尽きて、いよいよ閉店の運びとなったのがつい昨日のことである。その閉店の日、最後の一杯をやりに雨の中を店に足を運んでみれば、最後の日というのにどうということもなく、客は近所の年配客一人だけ、そこでなんとなくビールの話になり、その客が言うには、「最近のビールは馬の小便だ、やっぱり苦いキリンが一番だ、だいたいビールは最初の一杯だけが旨いのだ」と女将に向かって言い放ったのである。さてこの発言を受けての女将の言葉は「そうなのよ、最近の若いのはアサヒだの恵比寿だの言って、わたしゃキリンが昔っからあるんだからごちゃごちゃ言わずにそれ飲んでりゃいいのにって思うんだよねえ、まああたしゃビールは好きじゃないからどうでもいいんだけど」との事、さすがに驚いてしまうとともになにやら得心がいった次第である。
私はもともと幼年期から少年期に「バー」を家業としていた家で育ったのに加えて、周りは水商売を家業とする友達に囲まれて育ったという事も有り、いわゆる酒飲みの話は色々と聞いて育って来たのだが、今回と同じような話をたびたび聞いてきたような気がするのである。この「苦いのがビール」という認識は、昭和の世代に特徴的な「とりあえずビール」という現象と密接な関係があるような気がするのである。もともと私の子供の頃から「麒麟のビール」は本来はバドワイザーのような味に仕上がるはずの材料(米、コーンスターチなどの副材料)を使っているので(子供時分、工場見学時確認済)、「軽いアメリカンな味」になってしまうビールを、ホップを利かせて無理矢理あのような味に仕上げているのではと感じていたので、あの酵母の香りの無い熱処理をした「苦み」のビールを美味いとは思えなかったのが本当の所である。
私の子供の頃といえば「吾妻橋のアサヒ工場付属のビアホール」の生ビールの味が基本であり、家業では「恵比寿ビール」を出していた訳で、どうもあの系統の味がしっくりする体質なのであろうか。また同じアサヒの古いタイプのビールを出してくれていた「灘コロンビア」の肌理の細かい泡が立った適温のビールを大きめのビアグラスで飲む美味しさは、一番私の心を癒してくれる一杯であった事を思い出したのである。また長年のバイク乗りである「私」は、皆が「馬の小便」と蔑む「バドワイザー」や「クアーズ」などのアメリカンビアも、晴れ渡った草原でのミーティングの会場で、大音量で響き渡る「ロック」の中で、汗をかきながら水代わりに飲み干すあの味もまた好みとするところである。
さてこの原稿は「上野駅構内にあるアイリッシュパブ」の壁に向いたカウンターの端で、アイリッシュビアの「キルケニー」を1パイント、わずかに冷えすぎの感はあるもクリーミーな泡の乗ったグラスで飲みながら書いている訳である。このように最近では駅のなかでもそれなりのビールを飲む事が出来るようになった訳で、バブルの申し子とはいえ、酵母の香りのする本来のビールの味を全国で知らしめた「地ビール」のおかげか、いわゆる「ビール好き」にとっては今更あの「高度成長期のビール」の味に戻れるはずも無いのは自明の理であると一人得心している次第である。なお私の最近の気に入りは「マーフィーズ」である、アイルランドでは一番ポピュラーなビールであるはずのこの商品が、なぜか国内ではあまり見かけられないのが残念ではあるが、最近は入手するのもインターネットのおかげで割合に容易になっているので、ぜひお試しいただきたいと思うわけである。

2004/05/18

チキンラーメンは偉大である

チキンラーメンは偉大である、なぜならば今それを食べながら「大変満足」しているからである。おもえば子供の時はチキンラーメンはなにかあまり高級な感じがしないラーメンで、どちらかといえば、クリマタストアで買ってきた「マルタイの棒ラーメン」や「うまかっちゃん」なんかの豚骨味や、エースコックの「ワンタンめん」やマルちゃん「カレーうどん」や「「天ぷらそば」などの最下位に位置していたような気がします。おかげで家で食べた記憶はあまり無いのですが、しかし、しかしですね、いまこうやって食べてみるとですね、学生時代に、学校の前にあった怪しい店で出される「ラーメン」とはもろにこの「チキンラーメン」だったわけで、オバさんがかったるそうに丼に入れてお湯を掛けて出してくれたあの味、実家からの送金が途絶えて、パチンコの稼ぎで食っていた同級生が、景品で取ってきていて、遊びに行くとかならず出してくれた、鍋のまま出されたあの味、バーテン見習いの後輩が、下宿の3帖でこれがいちばんのごちそうだっていってご飯と一緒に鍋で煮ていたあの匂い、これらををまざまざと思い出したわけです。ああ、貧乏な酒飲みの若者の貴重な味方だったチキンラーメンは時代を超えて今でも皆に愛されている超定番商品として、日清食品の今期好決算をささえていると思うと感動してしまいました、「チキンラーメンは偉大である」

アキハバラの変容

我々の世代では、秋葉原という地名は特別の響きを持っているといえます。学研の科学の付録に心ときめいた思いのある「カガク少年」にとって、当時ワレワレの実感していた実現可能な「夢」は、「あらゆる物の自らの手によっての創造」でした。つまりアトムのようなロボットを、スタートレックの宇宙船USSエンタープライズ号のような宇宙船を生み出すのは来るべき未来の中で生きる自分達「カガク少年」が大人になった「科学者」が支えるのだ、というのが子供達のなかに在るある種の共通意識だったのです。ちょうど真空管の時代が去り、トランジスターが主流となり、ICチップがOPアンプとして金属の丸い筐体から8本の足をはやした火星人のような形を現し始めたばかりのエレクトロニクス時代の幕開けに遭遇した我々にとって、新世代の「あらゆるモノ」を創造するための大事な「部品」の入手先である「アキハバラ」こそが当時の「カガク少年」の夢見る聖地だったのです。
私にとっても、小学校低学年の時にてくてくとお茶の水から歩いて行った「科学教材社」の工作キットからはすぐに卒業して、当時はまだガード下の1坪の店だった「九十九電気」で買った各種トランジスタや抵抗類で作り始めたラジオやアンプ、高学年になって、本田通商や若松通商で買った半導体で作ったいろいろなガジェット類、中学のころ初めて手に入れた外国製集積回路、その後に手に入れた初めての4ビットCPUとその周辺回路、九十九が今のビルになったころ地下で買った「アップルIIe」のコピーボードとCPU。
結局「アキバ」の近くの大学に入り、当時はジャンク屋だった「イケショップ」で買った部品で作ったミキサーやエフェクター類、ゲーム機メーカーの友達が横流ししたZ80でコンピュータを作るために部品を確保に通った「国際ラヂオ」、「秋月電子」。
初めて買ったまともなパソコン「CASIO FP1100」の聖地だった「和知電子」、お店の立ち上げがら出入りしていた「プラットホーム」、「コピープロテクト解除ソフト」を売っていたあやしい頃から知っている「ソフマップ」で、独立するために大事なバイクを売って作った金でマック買いに行った「安売りのDAV2号店」、と売り掛けで仕入れを快諾してくれた「和知電子」などの思い出が沢山ある「アキハバラ」なのです。
この思い出で判るように「アキハバラ」の主流はまず戦後すぐに闇市としての「部品屋」と「ジャンク屋」で始まり、昭和40年代のオーディオブームに乗って「アンプやAV機器を扱う専門店」(サトームセンやラオックス)が多くなり、そこから昭和50年代に「いわゆる白物(冷蔵庫や洗濯機)を扱う総合家電店」(石丸電気や南無線など)が出てきて、その隙間を縫って、昭和60年代になるとジャンク屋や部品屋から始まった「パソコン屋」が大量に発生、平成に入ってのパソコンブームに乗って既存店もパソコンショップに衣替えして現在に至っています。しかし現在の「秋葉原」で目立つのは、「ゲームキャラショップ」「ロリコン系ショップ」「コスプレ系ショップ」「エロ漫画同人誌ショップ」「フィギア(人形)ショップ」などのいわゆる「ヲたく系」のショップばかりです。もともと工学系のダサイ感じの客の目立つ「アキバ」でしたが、最近はもっと怪しいバランスの服装の「ヲ」の人で溢れかえっています。今や「アキハバラ」はサイバーパンクなエレクトロニクスの聖地から、「アニメヲタク」の聖地へと変貌しつつあるのです。これらのショップは大手カメラ系流通店との競争に負けた「小規模家電店」や競争激化の割にはパイの小さい「自作DOS/V機」から撤退した「自作ショップ」の後に大量に出店してきているのです。さらにこれらの店にくる「ヲ」の人のための「コスプレ」系の風俗店も大量に出店し始めています。さてこれらのショップ構成の変化と客層の変化がもたらすのはなにかといえば、いわゆる一般客の減少でしょう。特に街の雰囲気を支配している根本的な「方向性」というか「本質」にこれまでの「カガク系」の客層と「アニメヲタク系」に決定的な違いが見てとれます。それは、「創る人」と「消費する人」との本質的な社会的性格の違いです。部品を買い何かを作って行く、パソコンでソフトを作るそういった事を通して独創的な物作りを夢見ている「創る人」と、アニメのフィギアを高額で買い取りコレクションしたり、「有名漫画キャラを借りて描かれた同人誌」を収集したり、ゲームキャラに扮したりする「コスプレ」などの「消費する人」との違いは埋める事の出来ない深い溝が間に横たわっているのです。つまり「独創性」が一番と思っている「カガク系」と、正確な模倣が一番だと思っている「アニメヲタク系」との消費性格の違いが街の性格として現れ始めているのではないでしょうか。私は「アニメヲタク系」にも知り合いが多いので少しも悪い感情を持ってはいませんが、やはりなにかコレクター特有の内向きのエネルギーを大きく持っているようで、このあたりは集めるだけで創らない「骨董趣味」の人と全く同じです。つまり自分の興味の無い分野は全く無視するのが特徴で、ついでにほかの分野の店を覗くことなど全くあり得ません。この辺は「中野ブロードウェイ」の変容と同じで、コスプレショップの間のある機械時計の専門店などは軽蔑こそすれ、絶対に入店することはないのです。
このように「ヲタク系」ショップの台頭とそれによる「客層変化」による「ポイント移動のよそよそしい雰囲気」によって「アキハバラ」は壊滅していくと結論付ける人もいますが、私はそうは思いません。もともと「パソコンおたく」や「ゲームおたく」の横溢していた「アキハバラ」に元から生息しつつあった「アニメ・コスプレ・ロリ系ヲタク」が台頭してきたけれど、やはり戦後このかた底流をなしている「自作系」のショップは健在なわけで、この主流の違いは工学部の志願者減少や、芸術音楽系への蔑視などにみられる日本の「創造する人」への軽視風潮が反映しているだけの事だとおもいます。
いずれにしてもこれからの「アキハバラ」は時代を反映した変容を遂げながらも、何らかの「聖地」でありつづけることでしょう。

携帯電話の高機能化

私の使っている携帯電話はGPS対応で「音声ガイド付きのナビ」が可能、さらにカメラはメガピクセルでストロボ内蔵と最近のトレンドは一通り押さえた設計となっています。高機能になった最新のGPS機能を最大限に生かす電子コンパス内蔵機能は、初めて実用的な「ウォークナビ」を実現しています。またカメラ機能はホームページの記事作成にデジカメが不要になるほどの便利さで大変重宝しています。
このように新製品が続々と発売されているのを見ると、携帯業界は我が世の春だと思っている人も多い事でしょう。では、本当の現状はどうなんでしょうか?
実は携帯端末は高機能化に伴い実にリスクの多い商品になりつつあります。現にソニーの米国市場からの撤退、日立とカシオの携帯部門の統合など、収益性の改善と、競争力の強化が各社な課題となっています。
ではどのような問題があるのでしょうか。リストにしてみました。
●端末は高機能化されていくが、デジカメなどの付加機能部分の開発コストは通話料などで回収できる性格のものではないので、現状はキャリア各社からの補助金で補ってはいても、結局は端末製造業者の負担になる。
●高解像度の画像やムービー、テレビ電話などの機能を生かすには、パケット通信料の大幅な引き下げが必要だけれど、現実にはキャリアー各社にとっては、収益をここであげている以上なかなか下げるわけにはいかないところで、結局ユーザーが高いパケット代を負担するはずも無い以上、目新しい機能であっても利用率は低くなってしまう。
●最近の携帯は高機能化に伴って、ソフトウェアの比率が高くなっていてそれだけバグの発生する確率も高くなり、発売後に発覚した場合の回収改変費用が膨大な物になる場合が多い。
●モデルチェンジのインターバルが短く、製造上のコストがあまり下がらない。
このような理由で、新機能追加ラッシュであっても、そのコストを負担を誰がするのかというビジネス上のモデルが確立されていないのではないでしょうか。負担先がはっきりしないまま疾走する高機能競争は、いまだにユーザー全体の支持を得られるような機能と費用のバランスを得ていないというのが本当の姿でしょう。その上での機能競争は各端末メーカーにとっては一種の消耗戦と化しています。

2004/05/15

国民年金を払わせないのは誰だ

国民年金の未払い問題がマスコミをにぎわせています。早朝のニュースバラエティ番組では訳知り顔のコメンテーターが、「払わないやつには罰則をもって厳正に臨むべき」だとか「払わないのは犯罪だ」などと吠えていますが、さて、国民年金の対象者ってどういった人たちなの?この質問をしてみると、サラリーマンや公務員の人たちはほとんどこう答えます「商売をやってる自営業者」。答えは「ブー」、はずれです。答えは、「サラリーマン」、「失業者」、「店員さん」、「作業員」、「バツイチのパートさん」、「フリーター」「大学生」、そして「自営業者」とその他です。
「なにいサラリーマン、おかしいじゃないか、俺もサラリーマンだけどちゃんと厚生年金加入してるぞ」って必ず突っ込みがあると思いますが、そういった方の勤務先ははっきり言って「大手企業の正社員」か「親切な経営者のいる企業」なのです。いまや、普通の企業でも、勤務する従業員の多くが契約社員やアルバイト、パートなどで構成されていて、企業のコストダウンに大きく貢献しているのです。さて、ではこういった声も聞かれるでしょう、「でも、ちゃんと給料貰ってるんだから、払うのがあたりまえだろう」ってね。「ブー」またまた不正解です。さて、あなたの会社のロビーを掃除しているおばさん達はあなたの会社がアウトソーシングした清掃会社の人ですよね。彼女達の給料を知ってますか?また、定年を迎えて職場を去って行った「先輩」は今、あなたも利用している駅前の駐車場に勤めていますが、彼の給料をしってますか?あなの息子さんは大学を出て3年も経つのに、いまだにバイトで食べてるようですが、彼の年収を聞いたことがありますか?、お隣のお嬢さんは広告代理店にクリエーターとして勤務していますが、いくら貰ってるかしってますか?
実は、日本の「母子家庭の平均月収」は平成16年5月現在、14万円を切っています。フリーターの月収もほぼ同様です。中小企業の従業員さんは年齢に関わらず月収が20万行かない場合がほとんどです。かれらはもう何年も同じ会社に勤務していわけで、実質的に「サラリーマン」であって「自営業者」ではありませんよね。さらに「失業者」です、日本では「雇用保険の有る会社」を離職して、雇用保険の給付を受けている状態の人を基本的に「失業者」といっていますが、ここで言ってるのは「ほんとうの失業者」のことです。障害認定の出るほどではないが体を悪くして仕事が見つからない人や、介護する親を抱えてパートに出る事もなかなか出来ない独身の息子やそのたもろもろの事情で継続的な就業が不可能な人達のことです。いまや若者や高齢者層の就業形態はドラスティックに変容しつつある訳で、これらの原因の一つには、雇用側の企業による「人件費圧縮政策」に基づく「各種保険、年金の企業負担回避作戦」にあることは間違いの無い事実です。たとえば「コンビニのアルバイト」さんですが、大手でも、継続的な雇用は認めない政策をとっています。実は深夜のバイトなどはなかなか定着してもらうのが大変なんですが、本部からは「同じ人はなるべく継続させない事」といった指導を受けます。これは、雇用保険を含む各種保険の負担を回避するためです。当然年金などありません。
ファミレスやスーパーなどのお掃除やメンテナンスの人達は、自社社員がほとんどでしたが、業界団体などの主催のセミナーなどで、いろいろな手法が指導されているためか、一度子会社に移籍させて、「勤務年数に依存する退職金」をちゃらにしておき、今度は「子会社から全員形式的に解雇」して、年俸制による下請け外注化を推進しているため、彼らは大工さんなどの職人さんと同じに「自営業者」となっています、そうです、年収200万以下、実質的には給与所得者でありながら形式上「自営業者」の人々が大量に生まれているのが現状なのです。また雇用する側の提示する収入はよく考えられている金額です、ほぼ「親」や「息子」と同居していて、脛を齧ることを前提としていて、アジア的な家族でもたれ合って生活して行くしかない給与体系となっています。企業が決めるこの給与計画の中には健保を支払うことは前提となっていても、年金を払う余裕を認めてはいない、生かさず殺さずの金額なのです。
例えば、27才で離婚して17才の高校生を抱える40才母子家庭の場合、大手チェーン店のパートさんとしての月収が手取り15万円、スナックでのアルバイトの手取りが5万、合計20万ですが、支出は家賃が7万、学費などが3万、光熱費などが1万、食費や服飾費などが7万で国民健康保険を払うと、年金を払う余裕はありません。とりあえず免除申請をしても、永遠に後納できるわけではないので、年金受給は不可能です。こんな状況になっているのにどうやって年金制度を維持して行くのか、謎は深まるばかりです。

2004/05/14

アウトレットパークに明日はあるのか?

先日も千葉の山中に新しいアウトレットモールがオープンし、現在、首都圏だけでもかなりの数のモールが営業している事になります。実は私も以前から金沢八景にある「三井アウトレットパーク・横浜ベイサイドマリーナ」をよく利用させていただいています。エディバウアー、ナイキ、リーバイス、ミシェルクラン、ユナイテッドアローズなどのショップがあり、自分用や女友達のプレゼントなどに大変重宝しています。またここはヨットハーバーに面したレストランの多くが「犬連れでのテラス利用」が出来る(当然テーブルチェックが可能)ので、犬連れで歩いている私には大変助かる場所です。客層も落ち着いた感じで、リラックスしたショッピングを楽しんでいます。
さて最近、都内の友達とドライブついでに、都下の数件のアウトレットモールを訪れてみて、気になったことがあります。
それは、モール毎の客層の大きな違いとショップ構成の違いについてです。たとえば駅前モールである、「ラ・フェット多摩 南大沢」では、ジャージの上下にサンダル履きの子連れファミリーと、流行の犬種をだっこしたお水系のおばさま達が、通路を歩くのが困難なほどにたむろしている光景は、とても「横浜ベイサイドマリーナ」と同じ三井の経営のモールとは思えない違いです。実際ここのショップ構成は「コーチ」などのファクトリーアウトレットショップもちゃんとそろっているのにも関わらず外の混雑ほどにはショップの中は空いている感じがします。この客層の違いも南町田の「グランベリーモール」になるとモール側も理解しているのか、ファクトリーアウトレットショップはほとんどなく、期待の「REI」も早々に撤退してしまい、GAPにしろコムサイズムにしろ郊外型のショッピングセンターそのものでアウトレットではありません。お客様の構成も、町田あたりの新郊外型ファミリーと派手なバンに乗ってきたヤンママファミリーが目立って増えて、しつけの悪いガキどもとしつけの悪い犬どもが走り回る混沌とした状況になっています。
まあこれだけアウトレットモールが増えれば、もともとちゃんとしたマーチャンダイジングに基づいた適正な品質管理と販売計画をもった大手ブランドメーカーにそれほどアウトレット商品がある訳も無く、十分な商品を各モールに供給する事など不可能な事であるのは自明の事だとおもいます。実際、ショップの中にはこういったアウトレット用にわざわざ商品を開発供給している所が多いのも業界では常識となっているのも事実です。
さらにこれが最初にちょっと書いた千葉のアウトレットモールである「アウトレットコンサート長柄」に至っては、アウトレットと名乗っていても実際にはファクトリーアウトレットショップはほとんどなく、いわゆるリテール型ショップ(つまり駅ビルなんかに入ってるような安めのショップ)を中心にする事を自社のニュースリリースで強調しているわけで、ある意味居直った状況での開業となりました。観覧車や遊園地的な要素を取り入れての構成も、ファミリー狙いとなっていますが、実際はアイスクリームを食べているヤンママ家族ばかりが目立つ状況で、もっと都心に近い場所に「ららぽーと」という強敵がある状態では、若い女性という一番の重要な客層を期待する事はショップ構成や立地条件から見ても難しいとおもいます。
倒産した長崎屋系の僻地型ショッピングセンターと大差ない状態となりつつあるアウトレットモールに十分な収益をあげていける見通しはあまりないと思いながら、ショッピングをしているこのごろです。

2004/05/13

コンビニエンスストアの憂鬱

どこにでもあり、ほとんどの都会生活者にとって生活の中で絶対に必要なものとなった「コンビニエンスストア」ですが、利用者は最近のコンビニには微妙ないらだちを感じているようです。それは「商品が選べない」と「定番が無い」ということです。「コンピニ」の商品は各種商品の人気上位3種類のみが棚に生き残るような苛烈な競争戦略の元に供給されている事は、いまや皆さんもご存知の事でしょう、これが目先を変える自社企画の新商品ラッシュと相まって、「定番無し」と「商品無し」になっている原因であることには異論のないところですが、最近の微妙な不満の増大は実はほかにも原因があるようです。それは最近法改正に伴って多くのコンビニで始まった「酒類の販売」が原因になっているのです。
実際ほとんどの「酒類販売」を行っている店舗では従来に比べて、「飲料」の棚の面積は大幅に減少している事が判るとおもいます。さらにその皺寄せは「ファミリー向けアイスクリーム製品」や「ドッグフード」や「トイレットペーパー」などの雑貨の棚にまで影響を与えています。
コンビニにとって「飲料商品」はもっとも大事な商品であることは、ほとんどの店で店外に自販機を置かないことからも判るとおもいます。お客様は漠然と「飲料」を買いにはいってきますが、結局ほかの商品も購入する事が多いので、入店の十分な動機付けとなる「選択枝」の多さと自分なりのこだわりをもった「商品選択」が難しい現状では、とくに若い女性に不満が多くなってきています。またコンビニで売れる「アルコール飲料」はほぼ缶酎ハイが主流で、買って行く層も独身で単身居住のフリーターを中心とした若い男性が主流で、買って行く本数もせいぜい1〜2本に留まっているのが現状です。まあ単価、利益率ともに既存の商品と大差ないのですが、棚の大きな部分を特定の購買層に限定してしまった現状では、床面積の有効利用が命のコンビニにとって、売り上げ減少の微妙な遠因となっているのが現在の状況です。

2004/05/12

都会的な事

都会的な事....
ペイヴメントの下水溝から路上に吹き出す暖房スチームの排蒸気に霞む冬の夜の街灯の灯。
黄昏時のオフィスの回転ドアの外、行き交うタクシー黄色い波間に見え隠れする道向こうのバーの窓の中、カウンターにもたれかかるコートを着たままのカップルの影。
深夜、仕事の帰りに向かう高架鉄道の駅手前の角のダイナーの窓、手の付けていないアップルパイ一切れと、お代わり自由のコーヒーカップを弄びながら所在なげな若い女性の姿。
このような都会の風景イメージは、実際毎日のように新聞に折り込まれるマンションのチラシ、TVのCM、ファッション誌のグラビアなど、いろいろな広告媒体の中に日常的に見かける事が出来ます。
では、このようなイメージは何時われわれの中で都会的な物として認知されるようになったのでしょうか。実はこれらのイメージを支える重要な「都会的なキーワード」があります。
「深夜営業のコーヒーショップ(ダイナー)」、「高架を走る通勤電車」、「地下鉄」、「働く女性」、「バー」、「摩天楼(高層ビル)」、「疾走するパトロールカー」、「通勤に使う自家用車」などのキーワードが体現する「都会生活」は実はほとんどが戦前のニューヨークで完成された、ニューヨーカーの生活を表現したイメージなのです。
また、当時のパリ、ベルリンなどの都市、規模は小さいながらも帝都東京のイメージでもありました。
これらのイメージを、我々の前に最初に提示したのは、やはりアメリカの小説やそれらを原作とした映画などでしょう。戦前から戦後に書かれた都会を舞台にしたいろいろな小説が、日本にも翻訳されて大量に入ってきた昭和20〜30年代、実際すでにこれらのイメージはほとんどの読者に具体的な「都会的な事」として認知されていたようです。特にこれらのイメージはいくつかのミステリーシリーズの背景として重要な意味を持つものでした。
実際、「E.S.ガードナー」原作の「弁護士ペリーメイスン」シリーズや「検事ダグ・セルヴィ」シリーズなどの背景にはまさにこれらの「都会生活に特有な」イメージが重要なキーワードとなっています。1960年代に日本でもTV放映されたことで覚えている方も多い「弁護士ペリーメイスン」シリーズは戦後の割合に早い時期から「ハヤカワミステリ」シリーズで大量に翻訳刊行されています。私もこのシリーズを神保町の古書店「東京泰文社」で買っては通勤の楽しみとして読んでいましたが、何冊も読んでいるうちに翻訳された文章にある「違和感」を覚えるようになってきました。それは重要な登場人物である探偵のポールドレイクが深夜のオフィスで食べる冷えてまずい「ひき肉を挟んだサンドイッチ」や「ペリーメイスン」が美人秘書の「デラ・ストリート」(この2人がいつ結婚するかが戦前戦後にまたがるこのシリーズの長い刊行期間の最大の話題だった)とレストランで食べる「ヒレ肉のステーキ」の名称などの、生活上のディティールについてです。皆さんももう気付いたと思いますが、「ひき肉を挟んだサンドイッチ」はハンバーガーの事で「ヒレ肉のステーキ」とは「フィレミニヨン」の事です。これらの小説が翻訳された時点では、日本人の訳者にはこれらの物を知らなかったか、読者が知らないと思っての意訳となったのでしょう、実際これを読んだ当時の日本の読者には」、これらの物の名前から具体的なイメージを喚起される事はなかったでしょう、昭和30年代の日本には、極めて局所的にしかこれらを見かける事ができませんでしたから。さらに当時の大部分の読者にとって実感がなかったのは、もっとも都会的な部分「24時間営業の店」や「働く有能な女性」、「ファーストフード」、「離婚問題」、「オフィスの恋愛」、「自家用車で通勤する女性」、「オフィスに響き渡るタイプの音」などでしょう。これらの事が実際に自分の事として実感され、小説の提示する「都会的なシチュエーション」が自らの事として理解されるようになったのは、ごく最近のことですから。

吉野家の失敗

最近のことですが、近所の吉野家に弁当を買いにいってみて、全く客がいないのには驚きました。たしかに先日の新聞に吉野家の売り上げが3割も落ち込んだとの報道がありましたが、ここまでとは思いませんでした。「米国産牛肉でなければ、牛丼は出来ない」と大見得を切って、吉野家をはじめとして各社とも一斉に牛丼の販売を中止したのはご存知の通りですが、この全く不思議な一斉行動にも、なにやらきな臭い裏がある事が「ハンナン」問題の報道からちらほらと真相が垣間見えてきたところです。結局の所、OGビーフなどの代替となる輸入肉などほとんど検討もせずに行った「中止宣言」も、仕入れの7割を握る「ハンナン」と「農水省」の輸入再開パフォーマンスにまんまと乗せられての結果であれば、櫓に上った所で梯子を外されたも同然といえます。
しかし、各社同じように牛丼販売を中止したあとの売り上げに差が出てきた事に関しては、各社が競って代替品として投入した「豚」関連の丼や「カレー物」に人気の差が歴然と表れ始めてた事が直接の理由であると思います。
吉野家といえばCMにもある通りに「牛丼一筋」が売りの店で、「牛丼」では味、価格ともに他社を大きく引き離すブランドであった事は誰もが認めるところでしょう。しかしそれが今回は災いして、競合他社がメニューの多様化に本格的に取り組んできたのと違い、今回の新メニューはいかにも急場凌ぎの感があるのは否めません。現在の主力製品である「豚丼」に関しても、本来は「鶏」関連商品を主力に据えるつもりが、例の鳥インフルエンザの影響で急遽登場したように見えます。
さて、今回初めて「豚丼」を食べてみて感じた事ははっきり言って「物足りない」の一言です。まるで「牛丼」の肉を「豚」に替えただけの物で、牛ならおいしいはずの薄い肉も豚ではある程度の厚みなければ、うまみが出ないのは料理人なら常識のはず、味付けも豚相手ではやや物足りない感じで、「松屋」などに比べての完成度が低い事が今回の苦戦の最大の原因だとおもいます。早期の改良がなければ顧客離れはいっそう加速することは必至でしょう。

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