2004/05/22

ビールの味

今年になってから先輩の紹介で食事に寄っている居酒屋ではジョッキを冷凍庫でキンキンに、「冷やして」というより「凍らせて」あって、そこに麒麟の生を注いでだしてくれるのだが、これが不味い。冷え過ぎたジョッキの中では剥がれた氷片が表面に浮き泡は無惨にも消失し、苦みだけが際立った香りの無い液体が淀んでいるのである。周りを見ると日雇いの親爺や何が生業(なりわい)なのか不明な年配の客たちは「旨い旨い」と美味しそうに飲み干しているが、大方の客は2杯目は焼酎になっているようである。もともとからのビール好きである私は、ほとんどどんな環境でも美味しくビールをいただいているのだが、この味だけは何となく得心がいかずに「微妙な苛立」を感じながらも、カウンターの端に居所を見つけて時々はその「ビール」を頼んでいた。しかし、その店もいよいよ「まともな料理」も出ず、たいした「酒」もなく、あまりやる気の感じられない女将の甲斐性もとうとう尽きて、いよいよ閉店の運びとなったのがつい昨日のことである。その閉店の日、最後の一杯をやりに雨の中を店に足を運んでみれば、最後の日というのにどうということもなく、客は近所の年配客一人だけ、そこでなんとなくビールの話になり、その客が言うには、「最近のビールは馬の小便だ、やっぱり苦いキリンが一番だ、だいたいビールは最初の一杯だけが旨いのだ」と女将に向かって言い放ったのである。さてこの発言を受けての女将の言葉は「そうなのよ、最近の若いのはアサヒだの恵比寿だの言って、わたしゃキリンが昔っからあるんだからごちゃごちゃ言わずにそれ飲んでりゃいいのにって思うんだよねえ、まああたしゃビールは好きじゃないからどうでもいいんだけど」との事、さすがに驚いてしまうとともになにやら得心がいった次第である。
私はもともと幼年期から少年期に「バー」を家業としていた家で育ったのに加えて、周りは水商売を家業とする友達に囲まれて育ったという事も有り、いわゆる酒飲みの話は色々と聞いて育って来たのだが、今回と同じような話をたびたび聞いてきたような気がするのである。この「苦いのがビール」という認識は、昭和の世代に特徴的な「とりあえずビール」という現象と密接な関係があるような気がするのである。もともと私の子供の頃から「麒麟のビール」は本来はバドワイザーのような味に仕上がるはずの材料(米、コーンスターチなどの副材料)を使っているので(子供時分、工場見学時確認済)、「軽いアメリカンな味」になってしまうビールを、ホップを利かせて無理矢理あのような味に仕上げているのではと感じていたので、あの酵母の香りの無い熱処理をした「苦み」のビールを美味いとは思えなかったのが本当の所である。
私の子供の頃といえば「吾妻橋のアサヒ工場付属のビアホール」の生ビールの味が基本であり、家業では「恵比寿ビール」を出していた訳で、どうもあの系統の味がしっくりする体質なのであろうか。また同じアサヒの古いタイプのビールを出してくれていた「灘コロンビア」の肌理の細かい泡が立った適温のビールを大きめのビアグラスで飲む美味しさは、一番私の心を癒してくれる一杯であった事を思い出したのである。また長年のバイク乗りである「私」は、皆が「馬の小便」と蔑む「バドワイザー」や「クアーズ」などのアメリカンビアも、晴れ渡った草原でのミーティングの会場で、大音量で響き渡る「ロック」の中で、汗をかきながら水代わりに飲み干すあの味もまた好みとするところである。
さてこの原稿は「上野駅構内にあるアイリッシュパブ」の壁に向いたカウンターの端で、アイリッシュビアの「キルケニー」を1パイント、わずかに冷えすぎの感はあるもクリーミーな泡の乗ったグラスで飲みながら書いている訳である。このように最近では駅のなかでもそれなりのビールを飲む事が出来るようになった訳で、バブルの申し子とはいえ、酵母の香りのする本来のビールの味を全国で知らしめた「地ビール」のおかげか、いわゆる「ビール好き」にとっては今更あの「高度成長期のビール」の味に戻れるはずも無いのは自明の理であると一人得心している次第である。なお私の最近の気に入りは「マーフィーズ」である、アイルランドでは一番ポピュラーなビールであるはずのこの商品が、なぜか国内ではあまり見かけられないのが残念ではあるが、最近は入手するのもインターネットのおかげで割合に容易になっているので、ぜひお試しいただきたいと思うわけである。