2004/05/24

ほめる人、けなす人

とはいっても教育の話ではありません「デジカメ」の話です。私は若い頃にバイトでやっていた「写真」で食べて行くか悩んだ事が有り、結局は違う仕事の道に進んで行った訳ですが、その仕事を辞めるときに使っていた「CONTAX RTS」を、仕事先の先生からいただいて以来、結局は仕事では「CONTAX RTS」や「RTSII」などを使ってきました。使い続けた理由はやはり「カール・ツァイスT*レンズ」の持つ描写力にあると思います。当時の国産レンズの「シャープ」さを第一とした設計とは違い、ナチュラルな色目と素直な描写力、人物撮影には大変魅力的な良いぼけ味を持つ、大変良いレンズだったからです。実際今でもそれらのカメラを使い続けていますし、最近ではレンジファインダーの「CONTAX G1」も使っています。さて、私の仕事での撮影も、最近は次第に「銀塩カメラ」から「デジタルカメラ」に比重が移って来たのに伴い、複数台の「デジカメ」を使用して仕事をするようになって来たのですが、「一眼デジカメ」は別として、小型機ではレンズも含めた光学系の弱さを痛感する事になりました。そこでネットの掲示板などで「レンズを含めた光学系重視」で小型のデジカメの情報を集めてみようと思い立ち「CONTAX」ブランドの数機種と、「CONTAX」ブランド以外ながら「カールツアイスレンズ」搭載の数機種、「ライカレンズ」搭載の数機種にしぼっていろいろな意見を聞いてみました。そこではっきりした事は、デジカメの機能に対する考え方の違いが「評価の基準を2分」しているという事実でした。
まあ、簡単に言うと撮影した画像の評価に関して、光学系の持つ描写力をデジカメの性能として認めて「ほめる人」とまったく認めず「けなす人」に分かれる事でした。さて、何事も「ほめる」「けなす」には一定の法則があると思います。それは「ほめる人」は大体において、こちらの投げかけた質問の主意(今回の場合は光学系の評価)を理解して評価して「ほめる」場合が多く、「ほめない人」も事の本質を理解して否定している以上「ほめる人」と同質であるとして、「けなす人」はどうも投げかけた質問の主意が理解出来ず、全く異なった論点で評価した結論をもって「けなして」いる人が多いようです。例えば今回の例で言えば、「ほめる人」はデジカメの撮影したデータの持つ表現力に関する光学系の影響する点について「評価」してくれる人が多かったのですが、「けなす人」の場合は始めから主眼の「光学系」については全く評価せずに、「大きさが大きいから全くダメ」とか、「シャッターが落ちるのが遅いからダメ」とか「特定メーカーの製品は嫌いだからダメ」とかの、今回の論点とは全く異なった事で「全否定」してくることが多いようです。また「ほめる人」の場合は自身の感性での評価を根拠として評価する場合が多いようですが、「けなす人」の場合、その根拠が伝聞や風説に基づいた場合が多く「皆がそう評価しているから当然私もそう評価する」という考えの人が多いように思います。
この事から判るように「ほめる人」とは論点がかみ合った議論が出来ますが、「けなす人」の場合はハナから論点が理解出来ない人なので全く議論が噛み合ないという事です。結果「けなす人」の場合は議論をしようとしても感情的な反論がエスカレートする場合が多いようです。この点を理解すれば、日常のいろいろな事柄、例えば「国産信奉」と「外国産蔑視」に関する議論が噛み合ないことの理由もまた理解できると思います。結局の所「ほめる」には評価すべき点がなんであるかを「理解」している事が大事で、それが判らないでほめれば、相手の賛同も得られず、ただの「おべんちゃら」だと思われてしまうと言う事です。この事は皆さんも普段の生活で実感されていると思います。